
2度目の離婚後、私はやっと気づいたのです。
自分の中のパターンに。
今日はそこにフォーカスして私の離婚をお話ししますね。
私の最初の夫はアラブ人で、娘の父親でもあります。
アラブではそれなりに活動していた画家で
アメリカで教育も受けていて、考え方もリベラル。
その上、私には才能もなく諦めたプロのアーティスト!
憧れる~。
結婚する前はそういう一面だけを見ていた私。
一緒に暮らしだして徐々に気づいたのは
彼の怒り。
社会への怒りと人への怒り。
彼の高いプライドを傷つける人々への怒り
(傷つけられたというのは本人の思い込みw)
もちろんその怒りは私へも向けられる。
リベラルだと思っていたのに、
だんだん見え出すアラブに蔓延する女性への縛り。
友人のアメリカ人夫婦が近所に住んでいたんですね。
奥さんが研究のために海外へ数ヶ月勉強に行ってしまい
一人暮らしの旦那さんはすごく寂しそう。
近所だし、昼に立ち寄ってコーヒーとお菓子をご馳走になりながら
世間話をしてきたんです。
それを知った夫は
男一人の住まいに行くとは何事だ!?
と怒りまくり。
ある日、彼が地図の上が北を指すというのを
知らないことに気づいた。
え~、知らないの~?と私がクスッと笑ったところ
形相が急に変わって激怒したんですよ、
馬鹿にするなって。
言い争いをした時、
私の目つきがキツくて敵対的だと言って
突然烈火の如く怒りだし
そばにあったワインの瓶を床に叩きつけたことも。
コントロールをしてくるのに
経済的には何のサポートもなく
子供の世話はほぼなし。
ひたすら怒り。
そして自分とアートへの没頭。
頭がおかしくなりそうでした。
暴力もあったし、命の危険も感じたし。
私のサラリーだけでは
子供もいる今、経済的にも苦しいだけ。
なのでお金のことでいつも喧嘩になりました。
こんな状態の中で
4歳の娘にいいわけがない。
結局彼の火の玉のような怒りを避けるように
私は娘を連れてハワイへ夜逃げ。
あまりにも大変で、
この辺りの記憶は途切れていることも多いのです。
ハワイへ逃げて3年後、
彼が協議離婚に同意し
晴れて完全に離れることができたのです。
目の前の重く暗い雲が
一気になくなったような爽快感でした。
それからすぐ「優しい」アメリカ人男性に出会ってしまう。
あら~、最初の夫と違って、なんて優しいジェントルマン♡
私と娘に全く興味もなく、
家族というつながりもなかった最初の夫に比べ、
いつも気遣ってくれ、私の気持ちも優先してくれるし~。
フラフラと2度目の結婚へ。
暮らしだして徐々に気づいたのは
彼の持つ不安。
私がスーパーに買い物に行く。
予定より20分ほどオーバーして家に帰ってくる。
玄関を開けた途端、
「なんで20分も遅れた?
何で電話しない?
心配するじゃないか」と言ってくる。
「ついでにドラッグストアで買うものがあったから
そっちにも行って遅くなっただけ。
20分くらい、いいじゃない。」と言うと
家族なのに、こちらの気持ちも考えろと延々とお説教。
家で仕事をしていたある日、
午前中に友人から電話があって
ランチをしようと誘われたので
久しぶりの再会を兼ねてレストランへ。
その最中に彼から電話が入る。
今家に電話したらいなかったけど
どこにいる?と言うので、
友人に誘われて〇〇レストランだよと言うと、
なぜその計画を言わない?
友人とは誰だ?
その人のことを自分は知らない。
なぜそう言う友人がいると言わない?
こうやって私はいつも監視されているような
不気味さを感じるように。
イエスかノーかしか答えはないという人で
それで答えられる時もあるけど、
はっきり言えないグレーゾーンも日常ではある。
それを許さない。
人間にはグレーゾーンがあるから
哲学や宗教があるんだと言ったら
知識をひけらかすのか?と言われ、
この人はすごい劣等感を持っているんだと
気づかされました。
議論や言い争いをすると
あまりにもしつこく
永遠に終わらないかと思うくらい執拗。
I’m sorryさえ言えば収まることに気づいた私は
面倒なので、それを連発するようになったんです。
しばらくして、それに気づいた彼は
もっと執拗になっていきました。
何時間でも迫ってくる。
あまりにしつこいので
夜中に家から出て行ったっことも。
でも後ろから追いかけてきた時は
恐怖さえ感じました。
彼の言動の根本は不安なんだと
はっきりとわかりました。
癒されていないインナーチャイルドです。
彼の家庭はいわゆる崩壊家庭。
父親は軍人だったけれど
アル中気味で暴力と暴言が絶えず、
家族全員で小さくなって暮らしていたらしいのです。
暴力を振るった父親のようにはならないと言っていた通り
身体的暴力はなかったけれど
言葉による暴力は、
きっと父親から無意識に学んだんでしょう。
感心するほど、
人を落とし込めるタイミングと言葉をよ〜く知っているのです。
家族として機能していない生活の中で育った彼は
家族とは夫婦とはこういうものという理想があるらしく
その理想から外れることが許せないらしいと感じました。
家族なんて喧嘩したり言い合いした後でも
平然と一緒にご飯を食べていたりする、
そんなのが普通と思っている私の考えが
通用するわけない。
息詰まるような生活に耐えられず
結局2年で離婚。
さすがに2年で離婚というのは落ち込みましたね。
でも離婚後2ヶ月ほど経った時
本当にスッキリして気持ちよく
深呼吸している自分がいたのです。
離婚して本当によかった。
私と娘のためにも。
最初の夫は怒り。
2度目の夫は不安。
そして共通しているのは
コントロール。
そうです、怒りと不安という違いはあっても
私はコントロールする男ばかりを選んでいたのです。
その時に私は自分の人生は
何かパターンがあって
同じことを繰り返しているんじゃないか?と
ふと思ったのです。
全然異質な男性二人なのに
根本的なところは一緒。
私がコントロールされることを
望んでいるからじゃないのか?
で、その後どう思ったか?
違う!
そんなことない!
人生はいろいろなことがあるけど
私はそういうちょっと波乱万丈な人生の中で
困難を乗り越えていく強い意志を持っているのだ!
自立している私がコントロールする男を選ぶわけがない!!
そして全部打ち消したんです。
自分に人生のパターンがある。
それをはっきりと自覚し降参したのは8年後の2019年でした。
強制終了です。
やっと気づいたね、
これだけダメ押ししたんだけどね。
気づいておめでとう
という感覚が上から来たのもこの時。
それから自分の内観という作業を
真剣に始めて今の私がいます。
8年という期間がきっと私には必要だったのだと思います。
あまりにも長い間、
自分の選択の同一パターンの中で生きてきたので
自分を納得させるための期間、
それが8年だったのかな。
2度の離婚の経験は本当に大変でした。
でもその代わりに得たものは
とても大きな気づきだったのです。
結婚の失敗、それを離婚というけれど、
そこから自分について学べることはてんこ盛りです。
不安、恐れ、恐怖との戦いではあるけれど、
それを乗り越えると
目の前には必ず道が広がります。
失敗は経験という
ダイヤモンドになることもあれば
手にへばりつくような泥団子になり
苦しい失敗のままで終わることもある。
その選択ができるのは自分自身。
人生には成功と経験しかない。
そう、失敗という言葉はないんですね。
全ては自分への気づきに繋がる道なのです。
そうそう、
なぜ私はコントロールする男を選ぶのか?
という気づきも去年ありました。
その気づきも今度書きます。
最後まで読んでくれてありがとう。
『ライトワーカーとしての覚醒をサポートいたします』
→ ライトワーカー無料診断
→ ライトワーカー講座