これは2年前に別のブログで書いた記事です。
参考になる方が多かったので、再掲載します。
ちょっと長いけど、お付き合いいただけると嬉しいです。
毒親という言葉を初めて聞いた時
亡くなった母のことをすぐ思い出してしまい
可笑しかった。
母が倒れた時、私はハワイに住んでいた。
家族から、母が救急車で運ばれ
意識不明のまま集中治療室にいるから
すぐ帰ってきてと電話があった。
9歳だった娘を連れ病院に着いた時
娘が母の耳元で「おばあちゃん!」と呼ぶと
3日ぶりだったらしいけれど、目をうっすらと開けた。
私の母は教師で
当時女性が外で働くってあまりなかったのだろう。
近所の人に「朝、小夜子ちゃんのお母さんが出勤するのが
道路を歩くヒールのコツコツという音でわかる」と
言われたくらいだから。
母はもともときついタイプではあった。
結婚して父の実家に住んでいたけれど
姑との折り合いが悪くさっさと家出したらしい。
経済力があるからできたんでしょうけれど
当時よくもまあそんなことしたよね~。
そして優しい父は一緒に出て行ったらしいけど。
教師ではあったけれど、
別にその職業が好きだという感じは
子供心にしなかった。
よく生徒や父兄を悪く言っているのも嫌だった。
そんなに嫌ならやめればいいのにと思ったのを覚えている。
母に何かを相談するということはなかった。
返ってくる言葉は、否定形だったり何をそんなことで!という
取り合わない言い方をされることが多く
そりゃ喋りたくなくなるし
父へもきつい言葉を返していて
家の中がドヨーンとネガティブな空気に包まれることも
多かったなあ。
私が小学生の時にリューマチになり、徐々に悪化。
もともとの性格もあるだろうけど
その痛みもあってか年中機嫌が悪かった。
家事を手伝いに来てくれる母と同じくらいの年齢の女性がいて
私は何かあるとその人に色々話していた気がする。
母と違って優しい人で、ふんふんと話を聞いてくれた。
母の暴言や機嫌の悪いことをこぼすと
お母さんはお仕事が忙しいから、しょうがないのよ。
と言われて納得できなかった記憶があるけれど。
私が高校生になると、リューマチの悪化でこれ以上無理と退職した。
早期退職をして色々なところに旅行したかったのに、と
母が呟いたのを覚えている。
ある日あまりの母の暴言に
私は「もういい加減にして!」
みたいな言葉を返したことがある。
母は持っていたコーヒーの入ったカップを
私に向かって投げて
人の気持ちも知らないで云々、というようなことを
ヒステリックに怒鳴った。
その時、この母には一切個人的なことは
言わないと心に決めた。
アメリカから電話する時も
今日の天気はこんなで、食事はこれ食べたとか
本当にたわいもない話で細かいことは一切なし。
そんな関係がずっと続いた。
日本にいる姉に言わせると
そんな私のことを悪く言うことも結構あったらしい。
勝手に言えば、いつものことだしね〜
くらいにしか思わなかった。
そんな母が倒れ
検査すらできない状態で集中治療室に
チューブだらけで横たわっている。
私と娘が来て以来、うっすらと目を開けるけど
話すことはできない。
医者はもしかしたら数週間、
長ければ何ヶ月かは持つでしょうが
もう打つ手はありませんと言った。
私は仕事もあるし、
日本にずっといることはできない。
とにかく一回ハワイに帰るしかない。
母の耳元に「一度ハワイに帰るからね。また来るから」と言うと
私をじーっと見ている。
本当に穴のあくほどってこのこと。
私と話したがっていると直感的にわかった。
病室にいた家族や娘にちょっと出てくれる?
お母さんが何か言いたそうだからと言って
母と二人だけになった。
母は声が出せない。
でも私は目で会話できた。
目を見て母の言っていることがわかった。
「ごめんね」
で、私は声が出るからね、こう言った。
「いいんだよ。もう安心して」
それだけ。
あとはずっと目を見て手を握ってあげた。
多分2〜3分だったと思う。
これが母との最後だった。
ハワイに帰って二週間後
母は亡くなった。
このたった2〜3分で
私と母の長い確執は消え去ったんだ、本当に。
最後の最後で赦しあえた。
そしてそれ以来
母と過ごした楽しい時間を思い出せるようになった。
私の住んでいた東京郊外は
私が小さい時は武蔵野の雑木林がそこらじゅうにあり
30分も歩くとまだ畑もあった。
夏休みで家にいる母と早起きして
そこの農家に歩いて行って
新鮮なキュウリやトマトを買いに行く。
行き帰りの母との会話が楽しかった。
旅行好きの両親に連れられていっぱい行った旅行より何より
その爽やかな朝の幸せの空気が蘇って
泣けてきた。
母は誰にも話していない
劣等感、悲しさなどの心の葛藤があったのだと思う。
それを押し込めて生きてきて
その思いが溢れ出てくる時
怒りとなって家族に向かって行ったのだろう。
思い当たることはあるけれど
本当のことは知る由もない。
でもね、私は母にすごく感謝してる。
反面教師として、人間、母親、女性、妻として
絶対こういうことを言ったり、してはいけないという事例を
じっくり見せてくれたから。
特に子供を育てる時に本当に参考になった。
ありがとう、お母さん。
私たちは地球に生まれて色々な経験をしてきた。
それは年齢とともに
ダイヤモンドのように輝くこともできるし
重い鉛のように身体を蝕むこともできる。
すべては自分が創り出しているのだから
全ては自分で答えを見つけることができる。
どうせだったらダイヤモンドにしよう。
自分の内側にすべてはあるのだから。
長くなってしまったけれど
読んでくれてありがとう。
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