
ライフデザインネビゲーターのくましろみのりさんが
ビジネス合宿で娘の誕生日を一緒にお祝いできないけれど
大切なビジネス合宿を諦めるという選択肢はなかった。
私は娘に見せたい背中があるから。
そして旦那さんは家と家族を守る人、
私は仕事をする人
という役割分担をしていて
彼が子供たちのことをしっかりみてくれているので安心。
と言われてます。
旦那さんがそうだと本当に心強いだろうなあ、
いい関係を作れる相手を選んだのもご本人。
浅見の明あり!
そんなことを思いながら何気にそのメルマガを読んでいて、
フト2003年の私のクリスマスを思い出しました。
アメリカ東海岸からハワイへ
5歳の娘と夜逃げしたのはその年の夏。
夫は生活費は出さない、
家族としての機能を全くなされていない状況の中、
彼の私への執着と呪縛だけはすごくて
そこから逃れる唯一の方法が夜逃げ。
ハワイへ住み始め、とにかく仕事を見つけなければいけない。
そんな時に新聞広告に出ていた
グラフィックデザイナーに応募したら
あっさりと採用。
しかし出社して驚いたのは
仕事がない・・・
え、どういうこと、これ?
しばらくしてわかったのは
この日本人オーナーは家族の事情で投資ビザを使って
アメリカの永住権を取るのが目的で会社をつくり
デザインに関しては全く素人。
その上奥さんが副社長で
会社でパパ、ママとか呼び合ってしまう・・・
どうも強力なアメリカのビジネス特化の法律事務所が
バックについているようでした。
私の他にもう一人、アシスタントということで
おとなしい日本女性が採用されていて
彼女は結婚しているけど子供なし。
私は5時半には預かってくれている学校に
子供を迎えにいかねばならないので
定時通り5時に会社を出る毎日。
いや、仕事はほぼないんだからね、定時に帰るの当たり前じゃない。
でも後から聞いた話によると、
私が定時に帰るというのが不満だったらしく
そのもう一人の社員の女性に
あなたは子供を持つ予定はないよね?と聞いたそう。
これね、録音でもしてあったら、
雇用差別で告訴できるレベルなんですよ、アメリカでは。
弁護士事務所から聞いてないのかしら?と思ったものです。
12月に入りしばらく経った頃
日本に出張するようにと言われました。
それも24日のクリスマスイブから数日。
クリスマスは日本のお正月のようなもの。
祭日であり、家族や友人と過ごす楽しくも静かな日です。
それは無理です、と私はその場で断ります。
ハワイには家族も親族もなく、
引っ越して半年も経たないし
知り合いもごくわずか。
そんな中、6歳の娘をクリスマスに
一人で置いて行くことはできないから。
絶対行って欲しいと主張するオーナー側に
では、日程を早めて24日にはハワイに戻ってくるというのはどうか?
というところで妥協点になり、
私は22日午前のホノルル発の便で成田着→
東京の会社に向かい、夕方から夜まで打ち合わせ→
22日の夜はホテル泊→
翌朝23日(日本時間24日)に続きの会議→
午後に成田に向かい、夜の便でハワイに戻る→
24日の午前中ホノルル着を選択。
これでクリスマスイブに間に合う。
娘は同じコンドミニアムに住んでいた
クラスメートのおばさんに預かってもらうことに。
ほとんど知らない人だったけれど、
旦那さんは警察官で信頼もできたし
二つ返事で、了解してくれました。
オーナーに、打ち合わせの会社から1時間弱のところにある
実家に泊まりたいと言うと、拒否されました。
それならその翌日鎌倉で別件の打ち合わせもして欲しいと言われ、
仕方なく諦めたけれど、
夜逃げのどさくさで1年半以上両親に会っていなかったので
無理やりでも会いにいけばよかった。
というのはその翌年、私の父は急死したのです。
2年以上会えずじまいでした。
でもあの時は時差ぼけする暇もなく、
夜10時過ぎまでの打ち合わせでクタクタでした。
とにかく早くハワイに帰って、娘とクリスマスを過ごす、
寂しい思いを絶対させない、
私の頭にはそれしかありませんでした。
1泊3日でホノルルに戻ると、入国審査官に
なんで、こんな短い滞在なんだ?と質問され、
事情を説明すると、
クレージーだね、と同情され
私もそう思うと答えておきました。
空港から直行で娘を迎えに行くと
ママ〜、寂しかったと抱きついてくる娘。
切ない気持ちもあったけれど、
疲れは一気に吹き飛びました。
その後多分楽しい時を二人で過ごしたんだと思うけれど、
とにかくこういう切羽詰まった経験というのは
一部を記憶喪失にさせるんですよね〜。
覚えてない!
この会社はその2ヶ月後に辞めました。
その時もすったもんだがありましたが、
まあ、予測はできた。
アメリカ人の知り合いにその過程を話すと、
「それは会話を全部録音しておいて告訴するべきだ。労働法違反だ!」と
息撒かれました。
いやそんなことより、関わりをさっさと断ち切って
次の仕事を見つけることに全勢力を使わないと!という状況。
そんな17年前のクリスマスの出来事を思い出した今日。
娘は大人になり、お互いに大変な状況を乗り切ってきた
同志のような存在です。
過去は過去。
すべては思い出の一片になっていくんですね。
生きているといろいろあります。
そしてそれがより自分を
人間として深める大きなきっかけにもなります。
そうとらえると、どんな経験も宝物だな。
今年のクリスマスは娘が
松花堂弁当みたいな和食が食べたいだって。
そんな面倒なこと、ワタシはしません!
手伝うならテキトーに作るけどね。
最後まで読んでくれてありがとう♡
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